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横浜家庭裁判所 昭和49年(少ハ)4号 決定

少年 D・S(昭二九・一・一六生)

主文

本人を昭和四九年一二月三一日まで特別少年院に継続して収容する。

理由

(申請に至る経過)

本人は、昭和四八年八月一〇日当庁で中等少年院送致の決定を受け、同月一四日多摩少年院に収容され、同月二一日少年院法一一条一項但書による収容継続決定がなされた後、同年九月七日淋病のため関東医療少年院に移送され、同少年院で治療のうえ、翌四九年一月一六日に多摩少年院へ還送されたが、同少年院内で横浜地区の少年と結びついてグループを作り、教官の指導に従わない等、粗暴的傾向が顕著であつたため、同年二月一八日久里浜少年院に移送されたものであるが、同年八月九日に前記収容継続決定による収容期間が満了となることから、同年七月二五日同少年院長より本件収容継続の申請がなされた。

(申請の要旨)

久里浜少年院に移入後は、本人は格別の反則行為もなく順応しており、同年七月一日に一級下に進級したが、まだ自省心、根気強さ、協調性に欠ける点が多く、又、自分に自信がもてないために、生活態度は消極的で、将来の生活について自分から切り開いていこうとする意識が不十分であり、今後これらの点の矯正をはかるためには相当期間の収容を要する。

又、現在のままでいけば、同年一一月に一級上に進級できる予定であるが、一級上の期間は三か月が原則であつて、その間の比較的規制のゆるやかな状態での本人の生活態度如何を見ることが、適切な処遇をはかるうえで必要である。

さらに、保護者の少年に対する溺愛傾向には未だ問題が残つており、出院後においても強力な助言、指導が必要と思われ、そのためには相当期間(四か月間)保護観察に付することが適当である。

以上の点から、昭和五〇年六月九日までの収容継続の決定を求める。

(当裁判所の判断)

一  本人は中学卒業時までは格別の問題行動はなかつたが、昭和四四年四月に○○高校に進学してから、横浜市○区○○の自宅付近の非行歴のある者達との不良交友が始まり、恐喝等の非行を行なつたため、交友関係を調整すべく昭和四六年四月に山梨県の○○高校に転校したが、同年五月に実姉の結婚式のため横浜に来て、前記不良仲間に会い、その時に集団暴行の非行をなして、同年九月二一日当庁で保護観察処分を受けた。

その後、しばらくの間は落着いて勉学に努め、昭和四七年四月には横浜に戻つて○○大学に進学したが、再び交友関係が乱れて生活が放縦となり、同年九月にサーキットグループの抗争に加わつて、集団暴行、兇器準備集合の非行をなし、さらに昭和四八年一月に集団暴行、三月恐喝未遂、傷害、四月に詐欺、五月に傷害、同幇助と非行を反覆した結果、前記少年院送致の決定がなされたものである。

本人は、知的能力は普通程度のものを有しており、書字能力、計算力、文章表現力等もあり、基礎学力は身についているものの、その性格は、末子であることから、父母兄姉から可愛がられ、甘やかされて育てられたために、他者依存的で自主性に欠ける一方、自己顕示欲が強く、そのため不良グループに同調して非行をくりかえし、その中で主導的な役割を果していたものであつて、規律ある生活指導によつてこのような性格の矯正をはかるとともに、不良交友を断つことが収容保護の目的であつた。

二  その後、本人は前述のとおり、昭和四八年八月一四日多摩少年院に入院して二級下に編入されたが、慢性淋病のため同年九月七日から約四か月間、関東医療少年院で治療を受けて、昭和四九年一月一六日に再び多摩少年院に戻り、同年二月一日に二級上に進級した。しかし、上記四か月の空白のため、多摩少年院での本人の立場は微妙なものとなり、同寮内の横浜地区の少年と集まると、それが上級生に威圧を与える格好となつたことなどから、特別少年院への移送を希望するようになり、反則行為はなかつたものの、教官の指導にしばしば従わないことがあつた。

しかるに、同年二月一八日に久里浜少年院に移送されてから後は、本人は「横浜」との訣別を決意して、努力しており、特段の問題行動もなく経過して、同年七月一日には一級下に進級し、一一月には一級上に進級する見込みである。

この、多摩、久里浜両少年院における本人の生活態度の相違が、いかなる事によるものかについては、両少年院の処遇の方法や収容少年の構成等の違いも考えられるが、何よりも本人の自覚によるところが相当大きいものと考えられる。

三  しかしながら、現在本人には前記「申請の要旨」記載のような問題点がまだ残つていることが認められ、その矯正をはかる必要があり、そのためには、一級上進級後の相当期間規制のゆるやかな状態のもとで、本人の自主性を育て、積極性のある生活態度を身につけさせることが肝要であり、又、久里浜少年院での一応順応し、落着いた状態が、今後規制が解かれた後も持続しうるものか否かを確かめる必要も存する。

他方、本人の自覚が芽生えてきていることは前述のとおりであつて、仮に申請どおりに一級上の期間を三か月認めるとすると、退院は昭和五〇年二月となつて、収容期間は通算して約一年半となるところ、本人は、収容中反則行為や事故が一度もないのに、移送がくりかえされたために収容期間が長期化することには、割り切れない気持をもつているとともに、昭和五〇年一月一六日の二一歳の誕生日を家族と共に迎えて、再出発の起点となす強い希望を有している。このような本人の心情を必要以上に過大に考慮することは、往々にして現実認識の甘さを助長し、十分な内省を阻む結果となることが多く、厳に慎まなければならないが、本件においては、審判廷における本人の真摯な態度等に照して、本人の希望をできうる限り尊重することが、その更正意欲をより一層高める結果をもたらすものと考えられる。

四  そして、本人の退院後の受入れ体制についてみるに、すでに両親は、本人の横浜における不良交友を断つために、昭和四八年六月に山梨県○○市に転居しており、本人退院後は、両親のもとに居住させ、本人の義兄が部長をしている同市内の製菓会社に即座に(年末年始にかかわらず)就職させる準備が整つており、本人も今まで高齢の両親に心配をかけてきたことを悔い、今後は両親の考えに従つて真面目に就労することを誓つている。

又、両親及び実姉においては、従前本人を溺愛してきたことを反省しており、今後改善されることが期待され、そのうえ就労面等で義兄の協力が得られるのであつて、退院後の保護環境は一応十分なものと考えられ、保護観察の期間を必要とするだけの特段の事由の存在は認められない。

五  以上の事情を勘案するに、すでに今日までに収容期間は一三か月を越えており、本人の前記心情は十分に理解しうるところであり、又退院後の受入れ体制もすでにできていること等に鑑み、一級上の期間が約二か月の短期とはなるけれども、新年からの本人の自覚ある出発を期待する意味で、収容継続の期間は昭和四九年一二月三一日までとすることが相当であると思料する。

よつて少年院法一一条四項、少年審判規則五五条により主文のとおり決定する。

(裁判官 西島幸夫)

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